2016年12月20日火曜日

静止画から「動き」を認識する能力の発達過程を明らかにしました

静止画から「動き」を認識する能力が発達する過程について明らかにした論文が英国の電子学術雑誌「Scientific Reports」に掲載されました(201611月) 

 

【研究の背景】

 絵や写真のような静止画に描かれた光景は、現実の景色とは異なり動くことはありません。しかしながら、例えば図1の真ん中のような写真を見て「男性が右側へ向かって走っている」ことを瞬時に把握できるように、私達ヒトは静止画に「動き」を補って認識する能力に長けています。私たちの過去の研究から、生後1年に満たない赤ちゃんでも静止画から動きを認識できる可能性が示されていることから、そうした能力は私達ヒトにとって基本的、かつ重要な能力であると考えられます。その一方で、静止画から「動き」を認識する能力が、成長の過程でいつどのようにして獲得されるのかは不明なままでした。こうした背景から、本研究では生後45ヵ月の赤ちゃんを対象にして、静止画から「動き」を認識する能力が発達する様子を調べました。


【実験方法】

 パソコンの画面の前に赤ちゃんに座ってもらい、画面に映し出される様々な画像に対する赤ちゃんの視線の動きを分析しました。
 具体的には、赤ちゃんがパソコンの画面を見ているのを確認した後、右側か左側へ向かって走っている男性の写真を画面の中央に呈示しました。0.6秒経つと男性の写真が消え、それと同時に画面の左右に黒い円図形が2つ現れます。この時、赤ちゃんがどちらの円へ先に視線を向けるかを測定しました(図1)。こうした手続を赤ちゃん1名あたり20回繰り返しました。このとき、男性が右向きになっている写真が10回、左向きになっている写真が10回、ランダムな順番で呈示されるようにしました。
 成人では、図1真ん中の写真のような「動き」を感じる静止画を見ると、無意識のうちに「動き」の方向へ注意や視線が引きつけられてしまう傾向があります。したがって、もし赤ちゃんも写真から「動き」を感じ取ることができるなら、右に向かって走っている人の写真を見た直後には右側の円を、左向きに走っている人の写真を見た直後には左側の円を注視する確率が上昇すると予測できます。

1.本研究の実験手続きの概要。(1)まずパソコン画面上に目立つアニメーションを映しだして、赤ちゃんの注意を画面の方に引きつけます。(2)赤ちゃんが画面を見たのを確認し、右または左側を向いた男性の写真を、画面の中心に0.6秒間呈示します。(3)男性の写真と入れ替わりで、画面の左右に全く同じ黒い円が2つ同時に出現します。このとき赤ちゃんが左右どちらの円を先に注視するか、視線の動きを記録しました。また、こうした手続を1名の赤ちゃんあたり20回繰り返しました。

【結果】

 実験の結果、生後5ヵ月の赤ちゃんは、写真の男性が走っているのと同じ方向に出てきた円をより頻繁に注視することがわかりました(図2左、灰色のバー)。一方、生後4ヵ月の赤ちゃんではそうした傾向は弱く、写真の男性の走っている方向に対応した円を注視する確率は、統計的には偶然(50%)と変わらない水準でした(図2左、白色のバー)。また生後45ヵ月の赤ちゃんともに、男性が直立した姿勢で左右いずれかの方向を向いている「動きの表現が無い」写真(図2右)が呈示された場合には、男性の向いている方向に出てきた円と、その反対側に出てきた円を同じくらいの頻度で注視することがわかりました(図2右)。このことから、5ヵ月の赤ちゃんで観察された、走っている男性の向きと同じ方向に視線を動かすという傾向は、単に写真の人物の顔や身体が左右どちらを向いているかによって生じたものではなく、写真によって表現される「動き(“走る”という行為)」によって生じたものである可能性が示されました。これらの結果から、生後5ヵ月の赤ちゃんは「動き」を表現する静止画に敏感に反応できる一方で、生後4ヵ月の赤ちゃんにはそのような特性が備わっていないことが示されました。
 別の実験では、先の実験と同じように、2つの円の呈示に先立って男性が左右いずれかに走っている写真が呈示される場合と、走っている男性の写真が上下逆さまに呈示された場合の赤ちゃんの視線の動きを比較しました(図3)。一般的に成人では、上下が逆さまの写真からは、「動き」、特に人間の動作の認識が弱まることが報告されています。もし赤ちゃんも同じような傾向を持つならば、走っている男性の写真を逆さまにした時には、走っている方向へ向けて視線を動かすという傾向が弱くなるはずです。実験の結果、5ヵ月の赤ちゃんは、写真が上下正しい方向に呈示された場合には、先の実験と同じく写真の男性が走っている方向へ頻繁に視線を動かしたのに対して(図3左)、写真が上下逆に呈示されたときにはそうした傾向が消失することがわかりました(図3右)。これは、5ヵ月の赤ちゃんも成人と同じように、上下逆さまに呈示された静止画からは、モデルの人物のダイナミックな動作を感じにくいことを示唆する結果だといえます。

2.写真の人物の向きと同方向に、赤ちゃんが視線を動かした割合を百分率で示しました。白色のバーは4ヵ月児の、灰色のバーは5ヶ月児の結果をそれぞれ示します。グラフ左半分は、男性が左または右に向かって走っている写真が呈示された時の結果です。5ヵ月児は統計的に偶然(50%)よりも高い確率で、男性の走っている方向と同じ方向に視線を動かしたのに対して、4ヵ月児では、男性の走っている方向へ視線が動いた割合は統計的には偶然の値と変わりませんでした グラフ右半分は、男性が直立して左か右を向いている写真が呈示された場合の結果です。この場合、45ヵ月児ともに、男性の向いている方向と同方向に視線を動かす確率は、統計的には偶然の値(50%)と変わりませんでした。



3.走っている人物の写真を正立した状態で呈示した場合(グラフ左のバー)と、倒立(上下逆)にして呈示した場合(グラフ右のバー)の5ヵ月児の視線の動き。正立画像が呈示された場合、5ヶ月児が男性の走っている方向へ視線を向ける確率は統計的に偶然の値(50%)を有意に上回りましたが、倒立画像が呈示された場合には、男性の走っている方向へ視線を向ける確率は、偶然の値(50%)と統計的には変わりませんでした。

【結果の解釈と展望】

 本研究の結果は、生後5ヵ月の赤ちゃんが静止画から「動き」を認識する能力を持つ一方で、生後4ヵ月の赤ちゃんにはそのような能力が無い可能性を示すものです。つまり、静止画から動きを認識する能力は、生後45ヵ月の間で急激に発達すると考えられます。
 こうした発達的特徴には、視覚処理に関わる複数の脳部位の成熟過程が関係していると推測されます。私たちヒトの脳の視覚と関連する領域のうち、「形」の認識に特化した領域と「動き」の認識に特化した領域は、解剖学的にある程度独立していることが知られています。そして、私たち成人が静止画を観察するときには、通常はそれらの領域のうち、形の認識に特化した領域が特に活発に活動します。ただし静止画であっても「動き」を感じるようなダイナミックな情景が描かれたものを観察すると、形の認識に特化した領域はもちろん、「動き」の認識に特化した脳の領域も同時に活動することが報告されており、私たちが静止画から動きを認識するためには「形」と「動き」それぞれの認識と関連する脳領域間の協調的な働きが重要な役割を果たしていると考えられています。私たちヒトでは、「形」と「動き」それぞれの処理に特化した脳の領域の両方がある程度のレベルまで成熟するのに、生後4ヵ月過ぎまでかかるとされています。生後4ヵ月を過ぎて、「形」と「動き」の処理に特化した脳の領域がそれぞれ成熟した後、さらにそれらの領域同士の協調機能が芽生えるのが(そしてその結果として、静止画から「動き」を認識できるようになるのが)大体生後5ヵ月頃であるのかもしれません。
 本研究の成果は、生後5ヵ月の赤ちゃんでも絵や写真などの中に表現される「動き」をある程度認識できることを示します。赤ちゃんや小さい子どもの日常的な生活環境には、絵本や漫画をはじめとして多数の静止画が存在しますが、そうした静止画の内容が、赤ちゃんや小さい子どもの行動にどのような影響を与え得るのか、考えていくことが重要かもしれません。赤ちゃんや小さい子どもは周囲の大人の動作を観察して、それを真似することが多々あります。現実世界の実際の人間の動作を見る場合と、静止画中に表現される人物の動作を見る場合で、赤ちゃんや子どもの模倣の質や量にどのような差があるかは現時点では不明です。ただ、生後5ヵ月という非常に幼い赤ちゃんでさえ、静止画から「動き」を認識できる可能性を踏まえて、赤ちゃんや小さい子どもの周りにある静止画の内容にも一定の注意を払うこと(例えば、暴力的な動作の絵が、赤ちゃんや子どもの目に過剰に触れることのないように気を配るなど)が大事かもしれません。


【書誌情報】

Shirai, N., & Imura, T. (2016). Emergence of the ability to perceive dynamic events from still pictures in human infants. Scientific Reports, 6, 37206, doi:10.1038/srep37206

2016年10月11日火曜日

動いている景色を認識するときに、 赤ちゃんが見せる独特の視線の動かし方について調べました

 動きのある景色を認識する際の視線パターンが、赤ちゃんと大人で著しく異なることを明らかにしました。これらの成果は英国のオンライン学術誌「Scientific Reports」に掲載されました。

 【研究の背景 】

私たちが身体全体を動かすと、それに応じて目に映る景色もダイナミックに移り変わります。例えば、前を向いたまま前方へ進むと、景色は放射状の軌跡にそって拡がっていくように見えます(図1b’)。このような景色の動きは、自分の身体がどこへ向かって移動しているのかをリアルタイムに認識するための重要な手がかりとなります。
 特に、放射状の動きの中心が、視界のどの位置にあるかを知ることが移動方向の認識に際して重要だと言われています。前述のように、私たちが前に進むと景色は拡がっていくようにみえますが、その「拡がり」の中心は、その瞬間に自分自身が進んでいる方向と必ず一致します(図1)。そのため、景色の拡がりの中心がどこにあるかを見つけ出すことができれば、自分自身が進んでいる方向を瞬時に認識することができるのです。実際に私たち大人は、放射状に拡がる動きのパターンを見せられると、自分でも気づかないうちに拡がりの中心を目で追いかけてしまいます。これは、放射状の動きの中心へ自動的に視線を向けることによって、自分自身の進行方向を効率的に認識、コントロールするような仕組みが、私たちの視覚に存在するためと考えられています。
 そのような視線の働きはどのように発達していくのでしょうか。特に、まだ自分で移動することができない、あるいは、ハイハイしたり歩いたりするようになったばかりの赤ちゃんでは、景色の動きに対する視線の働きはどうのようになっているのでしょうか。私たちの以前の研究から、生後半年に満たない赤ちゃんであっても、放射状の動きも含む、視覚的にかなり複雑な動きのパターンを認識可能であることがわかっています。しかしながら、大人と同じように、放射状の動きの中心に視線を向けるような傾向があるかどうかは不明でした。
図1.移動方向と景色の動きの関係についての模式図。上段は、ある人が移動する様子を真上から見下ろした状況(矢印は移動方向を示します)を、下段は、同じ人の視野に映る景色の動きを模式的に示したもの(矢印は景色の動きを示す)です。それぞれ、(a, a’) 向かって左側に位置する家へと移動している場合、(b, b’) 真正面の道路を直進する場合、(c, c’) 向かって右側に立っている人へと移動する場合を表します。いずれの場合も放射状に拡がる景色の中心と移動先の位置が一致しています。





【実験方法と結果】

生後4ヵ月〜18ヵ月までの赤ちゃん100名と、比較対象として20名の大学生に実験に参加してもらいました。実験では、たくさんの点が放射状の軌道にそって動く動画を赤ちゃんや大学生に何度も見てもらいました。そして、動画を見ている間の視線の動きをアイトラッカーという装置を使って測定しました。これによって、赤ちゃんや大学生が動画を見ている間、いつ、どの部分に視線を向けていたのか、詳細なデータを得ることができます。
 実験の結果、大学生ではこれまでに知られていたとおり、放射状の動きの中心部分に視線が集中する傾向が示されました(図2、下段右端)。その一方で、赤ちゃん、特に1歳未満の幼い赤ちゃんでは、放射状の動きの中心には視線が向かず、むしろ周辺部分に視線が偏ることがわかりました(図2、上段)。その後、生後1歳半までに、段々と中心部に視線が集まり始めますが(図2、下段左端、同中央)、それでも大学生と同じような水準に達するまでには至りませんでした。


図2.無数の白い点が放射状に拡がるように動くパターンに対する視線のデータ。放射状のパターンの中心部が、ちょうど画面中央に位置している瞬間の視線の分布を示したものです。赤みが強い部分ほど長く、頻繁に視線が注がれたことを示します。成人(大学生)では、ほぼ画面の中央に視線が集中しているのに対して、赤ちゃんでは画面の周辺部に視線がばらつく傾向が強いのがわかります。

【結果解釈と今後の展望】

まだ自分で移動できない小さな赤ちゃんはもとより、ほとんどの子がハイハイしたり歩いたりすることができる1歳半の赤ちゃんでさえ、景色の動きに対して大人とは異なる視線の動かし方をしていることがわかりました。これは少なくとも1歳半までの赤ちゃんは、自身の進んでいる方向を認識する際に、大人とは異なる視覚情報を利用している可能性を示すものです。
 景色の動きの様子から自身の身体の動きをコントロールする能力は、私たち大人にとっては、普段その存在を意識することがほとんどないくらい当たり前の能力です。しかしながら、そうした能力は、発達の過程で比較的長い時間をかけて培われるものなのかもしれません。今後は、より年長の幼児期や児童期の子どもを対象に実験を実施し、発達のどの段階で、大人と同じような視線の働きが生じるのかを調べていく予定です。
 また、本研究で扱ったような、視線の働きと実際の身体運動(例えば、歩いたり、走ったり)の発達の関係を調べることで、身体運動機能の発達に個人差が生じる原理を明らかにできるかもしれません。それによって将来的には、幼い頃の視線のパターンを調べることで、将来の身体運動機能の発達上のリスクを見積もったり、あるいは、視覚的な動きのパターンに対する視線の働きをトレーニングすることによって身体運動機能の向上や回復を促したり、といった応用が可能かもしれません。

2014年7月31日木曜日

静止画から「動き」を感じ取る能力の発達


赤ちゃんが静止画から人物の「動き」を認識できることを世界で初めて示した研究の成果が、ドイツの学術雑誌「Experimental Brain Research」に掲載されました(20146月)

【研究概要】

 絵や写真のような静止画は、現実の景色とは異なり「動き」の情報を一切含みません。それにもかかわらず私たちおとなは、絵や写真によって表現された複雑でダイナミックな光景を瞬時に把握し、理解することができます。例えば登場人物の派手なアクションが描かれた漫画を読むとき、あるいは「滝壺へと流れ落ちる大量の水」や「鳥のはばたき」といったダイナミックな光景の写真を見るとき、多くの人はそれらの絵や写真からリアルな躍動感を感じることでしょう。
 本研究では、生後58ヵ月の赤ちゃんがおとなと同じように、絵や写真のような静止画によって表現された「動き」を認識できるかどうかを調べました。現代社会では、生まれたばかりの赤ちゃんでも様々な静止画に囲まれて生活しています。例えば、赤ちゃんに絵本の読み聞かせをしてあげることもあるでしょうし、赤ちゃんがいるご家庭にはキャラクターの絵が付いたおもちゃやポスターなどもたくさんあるのではと思います。そうした静止画への接触が赤ちゃんの発達についてどのような影響を与えるかについては、様々な意見があるように思います。しかしながら、そもそも赤ちゃん自身が絵や写真などの静止画をどう理解しているのかについては、実は科学的にまだ解明されていないことが多いのです。特に、赤ちゃんが絵や写真から躍動感、すなわち「動き」を認識できるかどうかについては、これまで何もわかっていませんでした。
 そこで私たちは、赤ちゃんに「動き」を感じるような写真を見せ、その直後の反応(眼の動き)を調べました。具体的には、左右いずれかの方向に「走っている」人物の写真を赤ちゃんに見せ、その直後に赤ちゃんの眼が左右どちらに動くかを繰り返し測定しました(図1)。おとなの場合、絵や写真から「動き」を感じると同時に、無意識のうちに「動き」の先に視覚的な注意が引きつけられてしまうことが知られています。もし赤ちゃんも写真から動きを感じ取ることができるなら、右に向かって走っている人の写真を見れば右の方へ、左向きに走っている人の写真を見れば左の方へ、すばやく視線が移動すると考えられます。
 実験の結果、生後58ヵ月の赤ちゃんでも、写真の中の人物の走っている先に向けて、素早く視線を動かす傾向があることが明らかになりました(図2左)。また、こうした視線の動きは、写真の人物が左右いずれかの方向を向いてただ立ち止まっている写真や(図2右)、走っている様子が写った写真を上下逆さまにした写真(図3:人物の姿勢の認識があいまいになって躍動感が減少します)など、躍動感を感じにくい写真を見せられた時には起こらないこともわかりました。こうした結果は、少なくとも生後5ヵ月以降の赤ちゃんが、写真などの静止画から「動き」を認識する能力を持つことを示します。
 「動き」を感じる絵や写真を見ているとき、私たち大人の脳の中では、実際に動いているものを見ているときと良く似た脳活動が起こることが過去の研究によって明らかにされています。つまり私たちの脳は、静止画に含まれる人物や動物の姿勢といった「形」の情報から、その動きを推測する能力を持っているのです。そうした推測能力と関係する脳の部位の発達が一段落するのは、およそ生後45ヵ月頃と言われており、生後5ヵ月以降の赤ちゃんが静止画から「動き」を認識できるという本研究の結果と一致します。

【今後の展望】

 今後はより幼い赤ちゃんでも、静止画から「動き」を認識できているかどうかを調べていくことが重要なポイントになります。特に、関連する脳領域が発達するとされる生後45ヵ月の前後で、静止画から「動き」を認識する心の働きに発達的な差があるかどうかを検討することは、脳の発達と心の発達の関連について解き明かす上で重要な課題となります。
 また、今回の研究では、男の人が走っている動作の理解について調べましたが、他の様々な動作や、人間以外の動物、あるいは生き物以外(例えば車や電車など)の動きも、同様に理解できるのかを調べていけば、赤ちゃんがどれくらい「リアルに」静止画に描かれた光景を理解できるのかを明らかにすることができるでしょう。
 少なくとも生後5ヵ月の赤ちゃんが、静止画によって表現される動き、特にそこに表現された人物の動作をある程度認識できるということは、それほど幼い赤ちゃんにとっても、絵や写真は影響力のあるメディアであることを意味します。生まれて半年も経たない小さな赤ちゃんでも、身の回りにある絵や写真を、私たちおとなが想像する以上に理解しているかもしれないということを念頭において、赤ちゃんの発達環境を整えてあげることが重要かもしれません。

 

【書誌情報】

Shirai, N., & Imura, T. (2014). Implied motion perception from a still image in infancy. Experimental Brain Research, doi: 10.1007/s00221-014-3996-8



1.本実験の手続きの概要。(1)最初にコンピュータ画面上に目立つ絵を映しだして、赤ちゃんの注意を画面の方に引きつけます。(2)赤ちゃんが画面を見ているのを確認して、画面の右、または左側を向いた人物の写真が画面の真ん中に呈示されます(図に載っているのは右側を向いた人の写真です)。(3)その0.6秒後に、人物の写真の左右に全く同じ、黒い円が同時に現れます。このとき赤ちゃんが左右どちらの円を先に注視するか、視線の動きを記録します。こうした手続を1名の赤ちゃんあたり20回繰り返します。10回は右向きの、残りの10回は左向きの人物の写真が呈示され、それらの手続きがランダムな順番で 繰り返されます。もし赤ちゃんが写真の人物の動作を理解できるなら、写真を見た瞬間、無意識のうちに動作の方向へ注意が向いていると考えられます。そし て、その方向に呈示された円の方に視線が動いてしまうと予測できます。


2.写真の人物の向きと同じ方向に赤ちゃんの視線が動いた割合を百分率で示したもの。白いバーは5-6ヵ月の赤ちゃんの、灰色のバーは7-8ヵ月の赤ちゃんの結果を示します、左のグラフは、人物が左、または右に向かって走っている写真が呈示された時の赤ちゃんの目の動きの結果です。偶然(50%)よりも高い確率で、人物の向きと同じ方向に視線が動いていることがわ かります。一方、右のグラフは、人物がまっすぐ立ち止まって左か右を向いている写真が呈示された時の結果です。この場合、赤ちゃんが人物の向きと同じ方向 に視線を動かした割合は、ほぼ偶然と同じくらいの確率です。したがって、おとなにとってダイナミックな動きを認識しうる写真に対してのみ、赤ちゃんも、そ の動きの方向に視線を動かすことが示めされました。これらの結果について、5-6ヵ月と7-8ヵ月の赤ちゃんの間には統計的に意味のある差はありませんでした(Shirai & Imura, 2014, Experimental Brain Researchの実験1にもとづいて作成)。



3.走っている人物の写真を逆さまにした時の赤ちゃんの視線の動きの結果。赤ちゃんが人物の向きと同じ方向に視線を動かした割合は、ほぼ偶然(50%)と変わりませんでした(Shirai & Imura, 2014, Experimental Brain Researchの実験3にもとづいて作成)。人物の写真や絵を逆さまにすると、その人物の特徴についての認識が低下することが知られています。写真が逆さまになったことで、「走っている」動作の印象が薄れ、視線の移動が起こりにくくなったと推測されます。





視覚的な動きによって自分自身が動いているように錯覚する現象(視覚誘導性自己運動感覚:ベクション)の発達(中学生編)

中学生を対象とした視覚誘導性自己運動感覚の発達についての研究が、スイスのオンライン学術雑誌「Frontiers in Psychology」に掲載されました(20146月)

【研究概要】

 私たちは自分自身の身体の動きを認識するために、視覚的な動きの情報を利用しています。そうした視覚の働きは非常に強力で、たとえ自分の身体が動いていなくても、視覚的な動きを目にするだけで、自分自身の身体が動いているように錯覚してしまうことがあります。駅のホームに停車している電車に乗っていて「ふと窓の外を眺めた瞬間、自分の乗っている電車が動き始めた、と思ったら、実は動いていたのは自分の電車ではなくてその隣の電車だったと」という経験はないでしょうか?こうした現象は、専門的には視覚誘導性自己運動感覚(ベクション:vection)と呼ばれていて、個人差はありますが多くの人に共通して起こる錯覚です。
 私たちの以前の研究成果から、ベクションはおとなよりも小学生くらいの子どもでより強く、簡単に起こりやすいことが明らかになっています。そのような結果は、小学生くらいの子どもは自分自身の身体感覚を認識する際に、おとなに比べて視覚情報に影響を受けやすいことを示すものです。そうした成果自体は、子どもの発達に様々な視覚メディアが及ぼす影響について考える際に有用な知見となりますが、その一方で、ベクションの起こり方がおとなと同じようになるのはいつ頃なのか、という疑問に対して明確な回答を提供するものではありません。
 こうした背景から、今回の研究ではより年齢の高い子どもたち、中学生を対象に類似の研究を実施しました。中学生とおとな(大学生)のグループに、それぞれベクションを引き起こしやすい映像を観察してもらい、映像を見始めてからどれくらいの時間でベクションが生じるのか、映像を見ている間にどれくらい長くベクションが生じていたのか、また、ベクションが生じている間どれくらい強く自分自身の身体が動いているように感じていたのか、などを調べました。その結果、中学生とおとなで、映像が提示されてから最初にベクションが生じるまでの時間や、ベクションが生じていた長さには大きな差が見られませんでしたが、実際に体験しているベクションの「強さ」を報告してもらうと、中学生の方がおとなよりも強いベクションを感じていると報告する傾向がありました。こうした結果からは、中学生頃の子どもでは、ベクションの起こり易さについてはおとなとそれほど変わらない一方で、ベクションが起こった時の「身体が動いている感じ」の強さは中学生でより大きいことが示されます。したがって、ベクションの起こり方は中学生頃までにはかなりおとなと近い状態になりますが、その一方で、おとなとは異なる部分もまだ残っているという事になります。今回の中学生を対象にした研究の結果と、以前の小学生を対象とした研究の結果から総合的に判断すると、ベクションの発達は小学生から中学生以降の時期にかけて、比較的ゆっくりと進行していくものと考えられます。


1Shirai et al. (2014). Frontiers in Psychologyの結果をもとに作成。同じ視覚映像を観察したにもかかわらず、中学生は成人よりも強いベクションを報告しました(c)。



【今後の展望など】

 ベクションはバーチャルリアリティなどの技術とも関係の深い現象です。遊園地のアトラクションや、映画館、家庭向けゲーム機など、近年、様々な場面でバーチャルリアリティやそれに類する技術に接する機会が増えているといえるでしょう。本研究の結果は、少なくとも中学生くらいまでの子ども達は、そうした技術に触れる時に、私たちおとなとは異なる経験している可能性を示すものです。そうした状況が子どもの発達にどのように影響するのか(または大して影響しないのか)議論していくことは重要であると考えられますが、本研究のように様々な環境からの刺激を子どもがどのように感じ、認識しているのかを科学的に調査した例は、現状ではそれほど多くありません。今後も、幅広い年齢層の子どもを対象に、彼らが環境中の刺激をどのように受容し、認識、処理しているのか、その心の働きを研究していくことが必要であると考えられます。

 【書誌情報】

Shirai, N., Imura, T., Tamura, R., & Seno, T. (2014). Stronger vection in junior high school children than in adults. Frontiers in Psychology, 5:563. doi: 10.3389/fpsyg.2014.00563
     

 【その他】

本研究は、妹尾武治先生(九州大学・准教授)との共同研究です。また本研究は、田村梨織さん(新潟大学人文学部・平成25年度卒)の卒業研究として実施されました。

動きを見る能力の発達が赤ちゃんのハイハイや歩行の発達を促進することを発見!


 赤ちゃんが「ずりばい」や「ハイハイ」などの移動行動をできるようになる直前に、そうした行動のコントロールに利用される「動きを見る」機能(運動視)に大きな発達的変化が生じることを発見しました。本研究の成果は、米国の学術雑誌「Psychological Science」に掲載されました(20142月)

【研究概要】

 私たちが歩いたり、走ったり、あるいは自動車を運転したりして移動しているときには、視野に映る景色の流れを視覚的な動きのパターンとして認識し、その情報に基づいて自分自身がどの方向に向かって動いているのかをリアルタイムに確認して、身体の動きの方向をコントロールしています。したがって、動きを見る能力(運動視)は、私たちが自身の身体の動きをコントロールする上で非常に大きな役割を担っています。そのような運動視の発達が、身体の動きをコントロールする能力の発達にどのような影響を与えるかを明らかにするため、ハイハイや歩行が発達する前後の赤ちゃんを対象に2つの実験を実施して調べました。
 第1実験では、前に進むとき、あるいは後ずさりしたときに見える景色の動き(それぞれ拡大運動と縮小運動:図1を参照)を簡易なコンピューター・グラフィックスで再現した動画を、まだ自分で移動することができない赤ちゃん50名と、ずりばいやハイハイ、ひとり歩きなど、自分自身で移動が可能な赤ちゃん56名に、それぞれ見てもらいました。その結果、自分で移動できない赤ちゃんは、どちらの動画も非常に高い頻度で注目する傾向が強いことがわかりました。一方、自分で移動することが可能な赤ちゃんでは、後ずさりするときの景色に似た動画(縮小運動)を見る頻度だけが極端に低下する傾向がありました。
 これをふまえて第2実験では、ずりばいやハイハイ、歩行などの移動行動ができるようになる前の赤ちゃん20名を対象に第1実験と類似の実験を毎月実施して、移動行動ができるようになるまでの発達を調べました。その結果、「後ろへ下がるときの景色に似た動画(縮小運動)」を見なくなるという傾向は、移動行動が可能になるおよそ1ヶ月前から生じることが示されました(図2)。
 運動視の発達的変化がハイハイや歩行の能力の獲得に1ヶ月先行して生じることは、運動視の発達が、後に続くハイハイや歩行などの移動行動の発達に重要な影響を与えていることを示唆します。拡大運動は人間にとって日常的な移動様式である「前進」と密接に関連する視覚的な動きですが、一方の縮小運動は「後ずさり」のような、日常的にはあまり経験することのない移動方向と関連する視覚的な動きです。移動行動との関係からいえば、縮小運動は「非日常的」な視覚的動きであるともいえます。移動行動が発達するよりも前に「非日常的」な縮小運動を見る頻度を低下させ、より「日常的」な拡大運動を注視する頻度を相対的に上昇させることによって、拡大運動の認識と前方への移動行動をコントロールする機能との連携が強まり、結果として移動行動の発達が促進されるのかもしれません。

【今後の展望】

 一般的にハイハイや歩行の発達時期には大きな個人差があります。本研究の結果は、そうした個人差が視覚発達の差によっても生じ得ることを示すものです。本研究で得られた結果は、移動行動をはじめとした様々な身体運動の発達差に育児や教育の現場でどのように対応するべきか、特に乳幼児の周囲の視覚環境をどのように整えるべきか、その指針を確立する際に重要な知見となります。

【書誌情報】

Shirai, N., & Imura, T. (2014). Looking Away Before Moving Forward: Changes in Optic-Flow Perception Precede Locomotor Development. Psychological Science, 25, 485-493. doi: 10.1177/0956797613510723

 

1.前に進んでいる時の景色の流れ(a)と後ろに下がっている時の景色の流れ(b)を模式的に表現した図 黒い実線の矢印は景色の流れを、灰色の点線の矢印は、観察者自身の移動方向をそれぞれ示します。一般的には(a)のように前進すると、目に映る景色は放射状の軌道に沿って拡がっていく(拡大運動する)ように見え、(b)のように後退すると、景色は放射状の軌道に沿って縮んでいく(縮小運動する)ように見えます。実験では、こうした拡大運動や縮小運動を簡易なコンピュータグラフィックスで再現したものを赤ちゃんに見てもらいました。
 


2.第2実験の結果 移動行動が獲得される1ヶ月前から、縮小運動(後退時の景色の動きを再現したもの)を注視する割合が急激に減少していることがわかります。(Shirai & Imura, 2014, Psychological Scienceの実験2にもとづいて作成)。




2013年12月11日水曜日

小学生における視覚誘導性自己運動感覚


小学生を対象とした視覚誘導性自己運動感覚の発達についての研究が、英国の学術雑誌「Perception」に掲載されました(20132月)

 

【研究概要】

 私たちは自分自身の身体の動きを認識するために、視覚的な動きの情報を利用しています。そうした視覚の働きは非常に強力で、たとえ自分の身体が動いていなかったとしても、視覚的な動きを目にするだけで、自分自身の身体が動いているように錯覚してしまうことがあります。例えば、駅のホームに停車している電車に乗っているときに、隣の電車が動き始めるのを見た瞬間、止まっているはずの自分の乗っている電車が動き始めたように錯覚することがあります。こうした現象は視覚誘導性自己運動感覚(ベクション:vection)と呼ばれ、個人差はありますが多くの人に共通して起こる錯覚です。
 その一方で、ベクションは子どもの頃にも生じるのか、そしてそれが成長にともなってどのように変化していくのかについて、成人の結果と比較しながら科学的に研究した例はほとんどありませんでした。そこで私たちは、小学生(15名)と成人(20名)にベクションを引き起こしやすい映像を観察してもらい、映像を見始めてからどれくらいの時間でベクションが生じるのか、また、ベクションが生じている間、どれくらい強く自分自身の身体が動いているように感じていたのか、などを実験心理学的な手法を用いて調べました。
 その結果、小学生は成人に比べて、映像が提示されてからより短い時間でベクションを経験すること、それに伴ってより強力な身体運動の錯覚を感じていることが示されました。こうした結果からは、子どもは成人に比べて、自分自身の身体の動きを認識する際に、視覚的な情報に頼る割合が大きい可能性が示されます。
 ベクションはバーチャルリアリティ技術とも関係の深い現象です。遊園地などのアトラクションや、家庭向けのミニシアター、ゲーム機など、近年、様々な場面でバーチャルリアリティやそれに類する技術に接する機会が増えていますが、そうした環境下で、子ども達は成人とは異なる感覚経験を得ている可能性があります。錯視や錯覚の発達を科学的に調査し、高度に情報化された環境中で子どもたちがどのような感覚経験をしているのかを明らかにすることは、現代の子どもたちの生活環境を改善していく上で重要な課題であると言えるでしょう。

 【書誌情報】


 【その他】

本研究は、妹尾武治先生(九州大学・准教授)との共同研究です。また本研究の一部は、諸橋幸映さん(新潟大学人文学部・平成23年度卒)の卒業研究として実施されました。

環境中を移動する際に生じる景色の流れの認識特性


環境中を移動する際に生じる景色の流れの認識特性について、成人を対象に実施した研究の成果が英国の学術雑誌「Vision Research」に掲載されました(2012年4月) 

 

【研究概要】

 私たちが身体を動かすと、それに応じて視界に映る景色もダイナミックに変化します。例えば、まっすぐ前を向いて前進すると、目に映る景色は放射に拡がるように流れていき、反対に後ろへ下がれば、景色は放射状の軌道にそって縮むように見えます。私たちの脳は、そのような目に映る景色の流れを視覚的な動きとして分析することによって、私たち自身がどこに向かって、どれくらいの速さで動いているのかを計算しています。その一方で、普段の生活で身体を動かしている時に、そうした景色の流れが意識されることはあまり無いように思われます。こうした矛盾について実験心理学的なアプローチを用いて検討しました。
 実験では、11名の実験協力者にメガネ型のコンピューターディスプレイを装着した状態で、車いすに座ってもらいました。車いすを前後に揺すると、それと同期してディスプレイ上には簡易なCGで再現された景色の流れが映ります。このとき、車いすの動きと対応した、正しい方向の景色の流れが映る条件と、車いすの動きと対応しない、本来とは逆向きの景色の流れが映る条件を設け、それぞれの条件で映像がどのように認識されるのかを調べました。その結果、協力者間で個人差はあるものの、車いすの動きと対応した正しい景色の流れが提示される条件よりも、そうではない条件で、景色の流れの詳細を認識しやすいという傾向が示されました。こうした結果は、私たちが移動しているときには、それと対応して生じる景色の流れに対する主観的な認識が抑制されることを意味します。
 私たちの脳が、身体運動の状態を把握するために景色の流れを積極的に利用する一方で、私たちの主観的な意識上では、そうした景色の流れについての認識が抑制されているようです。こうした認識特性は、移動中に生じる視覚的な動きの見え方を低減することによって、常に動的に変化する目に写った景色から外界の安定した構造を見出し、それを認識することに役立っていると考えられます。

【書誌情報】

【その他】

本研究は、市原茂先生(首都大学東京・名誉教授、株式会社メディア・アイ 感性評価研究所・所長)との共同研究です。