2016年12月20日火曜日

静止画から「動き」を認識する能力の発達過程を明らかにしました

静止画から「動き」を認識する能力が発達する過程について明らかにした論文が英国の電子学術雑誌「Scientific Reports」に掲載されました(201611月) 

 

【研究の背景】

 絵や写真のような静止画に描かれた光景は、現実の景色とは異なり動くことはありません。しかしながら、例えば図1の真ん中のような写真を見て「男性が右側へ向かって走っている」ことを瞬時に把握できるように、私達ヒトは静止画に「動き」を補って認識する能力に長けています。私たちの過去の研究から、生後1年に満たない赤ちゃんでも静止画から動きを認識できる可能性が示されていることから、そうした能力は私達ヒトにとって基本的、かつ重要な能力であると考えられます。その一方で、静止画から「動き」を認識する能力が、成長の過程でいつどのようにして獲得されるのかは不明なままでした。こうした背景から、本研究では生後45ヵ月の赤ちゃんを対象にして、静止画から「動き」を認識する能力が発達する様子を調べました。


【実験方法】

 パソコンの画面の前に赤ちゃんに座ってもらい、画面に映し出される様々な画像に対する赤ちゃんの視線の動きを分析しました。
 具体的には、赤ちゃんがパソコンの画面を見ているのを確認した後、右側か左側へ向かって走っている男性の写真を画面の中央に呈示しました。0.6秒経つと男性の写真が消え、それと同時に画面の左右に黒い円図形が2つ現れます。この時、赤ちゃんがどちらの円へ先に視線を向けるかを測定しました(図1)。こうした手続を赤ちゃん1名あたり20回繰り返しました。このとき、男性が右向きになっている写真が10回、左向きになっている写真が10回、ランダムな順番で呈示されるようにしました。
 成人では、図1真ん中の写真のような「動き」を感じる静止画を見ると、無意識のうちに「動き」の方向へ注意や視線が引きつけられてしまう傾向があります。したがって、もし赤ちゃんも写真から「動き」を感じ取ることができるなら、右に向かって走っている人の写真を見た直後には右側の円を、左向きに走っている人の写真を見た直後には左側の円を注視する確率が上昇すると予測できます。

1.本研究の実験手続きの概要。(1)まずパソコン画面上に目立つアニメーションを映しだして、赤ちゃんの注意を画面の方に引きつけます。(2)赤ちゃんが画面を見たのを確認し、右または左側を向いた男性の写真を、画面の中心に0.6秒間呈示します。(3)男性の写真と入れ替わりで、画面の左右に全く同じ黒い円が2つ同時に出現します。このとき赤ちゃんが左右どちらの円を先に注視するか、視線の動きを記録しました。また、こうした手続を1名の赤ちゃんあたり20回繰り返しました。

【結果】

 実験の結果、生後5ヵ月の赤ちゃんは、写真の男性が走っているのと同じ方向に出てきた円をより頻繁に注視することがわかりました(図2左、灰色のバー)。一方、生後4ヵ月の赤ちゃんではそうした傾向は弱く、写真の男性の走っている方向に対応した円を注視する確率は、統計的には偶然(50%)と変わらない水準でした(図2左、白色のバー)。また生後45ヵ月の赤ちゃんともに、男性が直立した姿勢で左右いずれかの方向を向いている「動きの表現が無い」写真(図2右)が呈示された場合には、男性の向いている方向に出てきた円と、その反対側に出てきた円を同じくらいの頻度で注視することがわかりました(図2右)。このことから、5ヵ月の赤ちゃんで観察された、走っている男性の向きと同じ方向に視線を動かすという傾向は、単に写真の人物の顔や身体が左右どちらを向いているかによって生じたものではなく、写真によって表現される「動き(“走る”という行為)」によって生じたものである可能性が示されました。これらの結果から、生後5ヵ月の赤ちゃんは「動き」を表現する静止画に敏感に反応できる一方で、生後4ヵ月の赤ちゃんにはそのような特性が備わっていないことが示されました。
 別の実験では、先の実験と同じように、2つの円の呈示に先立って男性が左右いずれかに走っている写真が呈示される場合と、走っている男性の写真が上下逆さまに呈示された場合の赤ちゃんの視線の動きを比較しました(図3)。一般的に成人では、上下が逆さまの写真からは、「動き」、特に人間の動作の認識が弱まることが報告されています。もし赤ちゃんも同じような傾向を持つならば、走っている男性の写真を逆さまにした時には、走っている方向へ向けて視線を動かすという傾向が弱くなるはずです。実験の結果、5ヵ月の赤ちゃんは、写真が上下正しい方向に呈示された場合には、先の実験と同じく写真の男性が走っている方向へ頻繁に視線を動かしたのに対して(図3左)、写真が上下逆に呈示されたときにはそうした傾向が消失することがわかりました(図3右)。これは、5ヵ月の赤ちゃんも成人と同じように、上下逆さまに呈示された静止画からは、モデルの人物のダイナミックな動作を感じにくいことを示唆する結果だといえます。

2.写真の人物の向きと同方向に、赤ちゃんが視線を動かした割合を百分率で示しました。白色のバーは4ヵ月児の、灰色のバーは5ヶ月児の結果をそれぞれ示します。グラフ左半分は、男性が左または右に向かって走っている写真が呈示された時の結果です。5ヵ月児は統計的に偶然(50%)よりも高い確率で、男性の走っている方向と同じ方向に視線を動かしたのに対して、4ヵ月児では、男性の走っている方向へ視線が動いた割合は統計的には偶然の値と変わりませんでした グラフ右半分は、男性が直立して左か右を向いている写真が呈示された場合の結果です。この場合、45ヵ月児ともに、男性の向いている方向と同方向に視線を動かす確率は、統計的には偶然の値(50%)と変わりませんでした。



3.走っている人物の写真を正立した状態で呈示した場合(グラフ左のバー)と、倒立(上下逆)にして呈示した場合(グラフ右のバー)の5ヵ月児の視線の動き。正立画像が呈示された場合、5ヶ月児が男性の走っている方向へ視線を向ける確率は統計的に偶然の値(50%)を有意に上回りましたが、倒立画像が呈示された場合には、男性の走っている方向へ視線を向ける確率は、偶然の値(50%)と統計的には変わりませんでした。

【結果の解釈と展望】

 本研究の結果は、生後5ヵ月の赤ちゃんが静止画から「動き」を認識する能力を持つ一方で、生後4ヵ月の赤ちゃんにはそのような能力が無い可能性を示すものです。つまり、静止画から動きを認識する能力は、生後45ヵ月の間で急激に発達すると考えられます。
 こうした発達的特徴には、視覚処理に関わる複数の脳部位の成熟過程が関係していると推測されます。私たちヒトの脳の視覚と関連する領域のうち、「形」の認識に特化した領域と「動き」の認識に特化した領域は、解剖学的にある程度独立していることが知られています。そして、私たち成人が静止画を観察するときには、通常はそれらの領域のうち、形の認識に特化した領域が特に活発に活動します。ただし静止画であっても「動き」を感じるようなダイナミックな情景が描かれたものを観察すると、形の認識に特化した領域はもちろん、「動き」の認識に特化した脳の領域も同時に活動することが報告されており、私たちが静止画から動きを認識するためには「形」と「動き」それぞれの認識と関連する脳領域間の協調的な働きが重要な役割を果たしていると考えられています。私たちヒトでは、「形」と「動き」それぞれの処理に特化した脳の領域の両方がある程度のレベルまで成熟するのに、生後4ヵ月過ぎまでかかるとされています。生後4ヵ月を過ぎて、「形」と「動き」の処理に特化した脳の領域がそれぞれ成熟した後、さらにそれらの領域同士の協調機能が芽生えるのが(そしてその結果として、静止画から「動き」を認識できるようになるのが)大体生後5ヵ月頃であるのかもしれません。
 本研究の成果は、生後5ヵ月の赤ちゃんでも絵や写真などの中に表現される「動き」をある程度認識できることを示します。赤ちゃんや小さい子どもの日常的な生活環境には、絵本や漫画をはじめとして多数の静止画が存在しますが、そうした静止画の内容が、赤ちゃんや小さい子どもの行動にどのような影響を与え得るのか、考えていくことが重要かもしれません。赤ちゃんや小さい子どもは周囲の大人の動作を観察して、それを真似することが多々あります。現実世界の実際の人間の動作を見る場合と、静止画中に表現される人物の動作を見る場合で、赤ちゃんや子どもの模倣の質や量にどのような差があるかは現時点では不明です。ただ、生後5ヵ月という非常に幼い赤ちゃんでさえ、静止画から「動き」を認識できる可能性を踏まえて、赤ちゃんや小さい子どもの周りにある静止画の内容にも一定の注意を払うこと(例えば、暴力的な動作の絵が、赤ちゃんや子どもの目に過剰に触れることのないように気を配るなど)が大事かもしれません。


【書誌情報】

Shirai, N., & Imura, T. (2016). Emergence of the ability to perceive dynamic events from still pictures in human infants. Scientific Reports, 6, 37206, doi:10.1038/srep37206