2014年7月31日木曜日

静止画から「動き」を感じ取る能力の発達


赤ちゃんが静止画から人物の「動き」を認識できることを世界で初めて示した研究の成果が、ドイツの学術雑誌「Experimental Brain Research」に掲載されました(20146月)

【研究概要】

 絵や写真のような静止画は、現実の景色とは異なり「動き」の情報を一切含みません。それにもかかわらず私たちおとなは、絵や写真によって表現された複雑でダイナミックな光景を瞬時に把握し、理解することができます。例えば登場人物の派手なアクションが描かれた漫画を読むとき、あるいは「滝壺へと流れ落ちる大量の水」や「鳥のはばたき」といったダイナミックな光景の写真を見るとき、多くの人はそれらの絵や写真からリアルな躍動感を感じることでしょう。
 本研究では、生後58ヵ月の赤ちゃんがおとなと同じように、絵や写真のような静止画によって表現された「動き」を認識できるかどうかを調べました。現代社会では、生まれたばかりの赤ちゃんでも様々な静止画に囲まれて生活しています。例えば、赤ちゃんに絵本の読み聞かせをしてあげることもあるでしょうし、赤ちゃんがいるご家庭にはキャラクターの絵が付いたおもちゃやポスターなどもたくさんあるのではと思います。そうした静止画への接触が赤ちゃんの発達についてどのような影響を与えるかについては、様々な意見があるように思います。しかしながら、そもそも赤ちゃん自身が絵や写真などの静止画をどう理解しているのかについては、実は科学的にまだ解明されていないことが多いのです。特に、赤ちゃんが絵や写真から躍動感、すなわち「動き」を認識できるかどうかについては、これまで何もわかっていませんでした。
 そこで私たちは、赤ちゃんに「動き」を感じるような写真を見せ、その直後の反応(眼の動き)を調べました。具体的には、左右いずれかの方向に「走っている」人物の写真を赤ちゃんに見せ、その直後に赤ちゃんの眼が左右どちらに動くかを繰り返し測定しました(図1)。おとなの場合、絵や写真から「動き」を感じると同時に、無意識のうちに「動き」の先に視覚的な注意が引きつけられてしまうことが知られています。もし赤ちゃんも写真から動きを感じ取ることができるなら、右に向かって走っている人の写真を見れば右の方へ、左向きに走っている人の写真を見れば左の方へ、すばやく視線が移動すると考えられます。
 実験の結果、生後58ヵ月の赤ちゃんでも、写真の中の人物の走っている先に向けて、素早く視線を動かす傾向があることが明らかになりました(図2左)。また、こうした視線の動きは、写真の人物が左右いずれかの方向を向いてただ立ち止まっている写真や(図2右)、走っている様子が写った写真を上下逆さまにした写真(図3:人物の姿勢の認識があいまいになって躍動感が減少します)など、躍動感を感じにくい写真を見せられた時には起こらないこともわかりました。こうした結果は、少なくとも生後5ヵ月以降の赤ちゃんが、写真などの静止画から「動き」を認識する能力を持つことを示します。
 「動き」を感じる絵や写真を見ているとき、私たち大人の脳の中では、実際に動いているものを見ているときと良く似た脳活動が起こることが過去の研究によって明らかにされています。つまり私たちの脳は、静止画に含まれる人物や動物の姿勢といった「形」の情報から、その動きを推測する能力を持っているのです。そうした推測能力と関係する脳の部位の発達が一段落するのは、およそ生後45ヵ月頃と言われており、生後5ヵ月以降の赤ちゃんが静止画から「動き」を認識できるという本研究の結果と一致します。

【今後の展望】

 今後はより幼い赤ちゃんでも、静止画から「動き」を認識できているかどうかを調べていくことが重要なポイントになります。特に、関連する脳領域が発達するとされる生後45ヵ月の前後で、静止画から「動き」を認識する心の働きに発達的な差があるかどうかを検討することは、脳の発達と心の発達の関連について解き明かす上で重要な課題となります。
 また、今回の研究では、男の人が走っている動作の理解について調べましたが、他の様々な動作や、人間以外の動物、あるいは生き物以外(例えば車や電車など)の動きも、同様に理解できるのかを調べていけば、赤ちゃんがどれくらい「リアルに」静止画に描かれた光景を理解できるのかを明らかにすることができるでしょう。
 少なくとも生後5ヵ月の赤ちゃんが、静止画によって表現される動き、特にそこに表現された人物の動作をある程度認識できるということは、それほど幼い赤ちゃんにとっても、絵や写真は影響力のあるメディアであることを意味します。生まれて半年も経たない小さな赤ちゃんでも、身の回りにある絵や写真を、私たちおとなが想像する以上に理解しているかもしれないということを念頭において、赤ちゃんの発達環境を整えてあげることが重要かもしれません。

 

【書誌情報】

Shirai, N., & Imura, T. (2014). Implied motion perception from a still image in infancy. Experimental Brain Research, doi: 10.1007/s00221-014-3996-8



1.本実験の手続きの概要。(1)最初にコンピュータ画面上に目立つ絵を映しだして、赤ちゃんの注意を画面の方に引きつけます。(2)赤ちゃんが画面を見ているのを確認して、画面の右、または左側を向いた人物の写真が画面の真ん中に呈示されます(図に載っているのは右側を向いた人の写真です)。(3)その0.6秒後に、人物の写真の左右に全く同じ、黒い円が同時に現れます。このとき赤ちゃんが左右どちらの円を先に注視するか、視線の動きを記録します。こうした手続を1名の赤ちゃんあたり20回繰り返します。10回は右向きの、残りの10回は左向きの人物の写真が呈示され、それらの手続きがランダムな順番で 繰り返されます。もし赤ちゃんが写真の人物の動作を理解できるなら、写真を見た瞬間、無意識のうちに動作の方向へ注意が向いていると考えられます。そし て、その方向に呈示された円の方に視線が動いてしまうと予測できます。


2.写真の人物の向きと同じ方向に赤ちゃんの視線が動いた割合を百分率で示したもの。白いバーは5-6ヵ月の赤ちゃんの、灰色のバーは7-8ヵ月の赤ちゃんの結果を示します、左のグラフは、人物が左、または右に向かって走っている写真が呈示された時の赤ちゃんの目の動きの結果です。偶然(50%)よりも高い確率で、人物の向きと同じ方向に視線が動いていることがわ かります。一方、右のグラフは、人物がまっすぐ立ち止まって左か右を向いている写真が呈示された時の結果です。この場合、赤ちゃんが人物の向きと同じ方向 に視線を動かした割合は、ほぼ偶然と同じくらいの確率です。したがって、おとなにとってダイナミックな動きを認識しうる写真に対してのみ、赤ちゃんも、そ の動きの方向に視線を動かすことが示めされました。これらの結果について、5-6ヵ月と7-8ヵ月の赤ちゃんの間には統計的に意味のある差はありませんでした(Shirai & Imura, 2014, Experimental Brain Researchの実験1にもとづいて作成)。



3.走っている人物の写真を逆さまにした時の赤ちゃんの視線の動きの結果。赤ちゃんが人物の向きと同じ方向に視線を動かした割合は、ほぼ偶然(50%)と変わりませんでした(Shirai & Imura, 2014, Experimental Brain Researchの実験3にもとづいて作成)。人物の写真や絵を逆さまにすると、その人物の特徴についての認識が低下することが知られています。写真が逆さまになったことで、「走っている」動作の印象が薄れ、視線の移動が起こりにくくなったと推測されます。





0 件のコメント:

コメントを投稿

注: コメントを投稿できるのは、このブログのメンバーだけです。